自分の原点にしたい作品、「すいか」について

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たまに、ふと頭に疑問が浮かぶ。

自分が一番、好きなテレビドラマって何だろう?

 

今まで浴びるように観た、たくさんの作品の印象に残ったシーンが頭をよぎる。

 

橋部敦子さんの「僕らは奇跡でできている」「遅咲きのひまわり」「モコミ」、橋部さんの作品は鉄板で好きだ!

また、幼い私が脚本家になりたい、との思いを心に沸かすきっかけになった北川さんの「愛していると言ってくれ」や「ロンバケ」、

近年だと、渡部あやさんの「今ここにある危機とぼくの好感度について」、素晴らしかった!

 

今まで観てきた数々のドラマのインパクトあるシーンが脳内に巡って、巡った後に、

「やっぱり、『すいか』だな」って思う。

 

「すいか」はシナリオブックも持っている。たまにパラパラとめくる。

最終話、主人公の基子に馬場チャンが、基子の下宿で観た、小皿にのった梅干しの種の話をする時のセリフを読む。何度読んでも、うるっとする。

 

色んなことがあって、30歳半ばの私の心の周りには、たくさんの余分な贅肉がついている。

 

それは私のほっそい筋肉の周りにつく頑固な脂肪のようだ。

年々、運動をしても中々脂肪が落ちくなったように、心の周りの「余分」も、私が何か大切なことを思い出そうとすると、口々に「だってさ」と、言い訳を始める。

 

「人に優しくを心情にしていたら、舐められまくって、いつも良いように使われてるじゃん、相手を力で押さえつけるくらいの度量が無いと駄目だよ」

「結局は、自己責任なんだよ。自分の知識不足で、騙される奴が悪い」

 

「思いやり」「弱いものいじめはしない」「人を陥れてまで、自分がのし上がらない」

自分が心の支えにしてきたものが、弱肉強食なこの世界に立たされて、揺らぐような気持ちになる。

 

前は硬い大地に根深く根ざしていた小さな木が、根っこごと引っこ抜かれて、ぬかるんだ不安定な土地に植え替えられたような感覚だ。

 

そういう時、「すいか」を観ると、「あんた何言うてんの!あんたが元々大事にしていたものを大事にして良いんやで!」

と、分厚い手で背中をバチンと叩かれたような気持ちになる。

 

何なんだろう。見返す度に、

 

都会で、ギラギラバチバチしたものに触れた若者が、お盆に田舎に帰って、ただただ、甘やかしくれるお婆ちゃんに癒される、みたいな癒しを得られる。

 

「すいか」には、いわゆる「インパクトのある」「ついつい引き込まれてしまう」というような映像シーンはないかと思う。

 

それは、木皿さん自身が、シナリオブックのアト書で、語っているように「こうすれば映像作品として面白くなる!」というような色んな定説を無視しまくって書いているからだろう。

 

だから正直、疲れている時に見ると、ウトウトしちゃうようなシーンも出てくる。

 

海外ドラマのように、終始ハラハラドキドキ、感情を揺さぶられ、ついつい続きが気になって、明日も仕事で朝早いのに、夜中まで観てしまう、ということはないと思う。

 

でも、逆に、3話と4話を観る期間が、数ヶ月あいても、ふと続きが観たくなり、

また間が空いて続きから観ても、許される、みたいな空気感がある。

 

良い意味で一生懸命、観なくても良いのだ。

でも、何度も、ダラダラとずっと観ていたいのだ。

 

それが放送当時に視聴率に繋がらなかった理由でもあるかもしれないが、

放送から10年以上だった今でも、ずっと愛される作品である理由でもある気がする。

 

私が「すいか」を観たのは、放送から何年も経った後だ。

その評判をネットで知り、Huluで観た。

大好きになり、シナリオブックを購入し、Blu-layがあることも知れたので、購入した。

 

「すいか」はきっと、配信される限り、私のようなファンをコロコロコロコロとつけていくだろう。

 

それは、ネットニュースになるような、爆発的大ヒット、では無いかもしれないが、

 

フンコロガシが一生懸命、時間をかけて手に持つ糞を丸く大きくするように、

この世の人の目に触れる場所にある限り、地道にファンの数を増やしていく。

 

数年前から、自分でも脚本を書いている。

自分が描きたいことは確かにあったはずなのに、それを描こうとすると、たくさんの「ちょっと待った!その考えは甘いんじゃ無いの!?」というような声が聞こえてくる。

 

そんな時、「すいか」に触れると、自分が本質的に描きたいものの原点に振り返れるような気がする。

 

ここ最近、シナリオコンクール用の脚本を悶々としながら練り練りしており、

そんな時にまた「すいか」のシナリオブックを読み直し、ウルルとして、

 

更に冒頭にURLを貼り付けた、河野プロデューサーのインタビュー記事も読むことが出来たので、「すいか」への思いをまとめてみた。

 

穏やかな作風の「すいか」の制作がこれほど大変だったとは。

河野プロデューサー、本当にお疲れ様でした。

そして、「すいか」をこの世に産み落として下さり、本当にありがとうございます。

 

河野プロデューサーがインタビューの最後に、「『すいか』は戻るべき場所で、教科書みたいなものですね」と述べられていますが、

 

すいかのファンの皆にとっても、すいかは戻るべき場所、心の拠り所になっていると思います。

 

はてなブログは、普段、「公開しない」設定にして、自分の本心をツラツラと語る場にしているのですが、

 

公開することで、「すいか」愛する人「すいか」の制作に携わった方への感謝の気持ちが伝われば、という淡い気持ちを持って、公開にしてみました。

 

駄文、且つ長文で、大変失礼ですが、

私は死ぬまで、「すいか」が好きで、生きる支えとなっている、という気持ちをここに残せたらと思います。

「ハピネス三茶」、住みたいですね!